表層

 

小顔の小ささと、首の長さと白さ、目と口の動きに細長い指のヒラヒラ合わせ技、ここにいるよーって叫ぶ喉仏、謎の発光体、それは米津玄師。お尻にお肉が無さ過ぎて今日の椅子ちょっとだけ痛いなぁ感、ありがとうございます。座面に毛皮を敷いて差し上げましょうか?と何度も妄想さしてもらえました、恐縮です。

『誰も知らない』は、わたしも15年前くらいに観たけれど、たったの一度だけ、自分が小さい子どもを抱えていた時期だったので兎に角ストーリーがつらくて見返せなかった。。でも今でも残る印象は淡々と綴る日常の(是枝監督の切り取る)美しさと儚さとカメラに差し込む外光、這うような低い位置のカメラ、悔しいけどどこか憎めない母親、ヤギラ少年の危うさと絶望を最後に解放してくれるような明るいラストシーン。この妙に明るい引きのラストシーンがなんだかおしゃれだなぁと思ってしまって、監督の言いたいことが押しつけがましくないというのか、もう後はご自分で、観たもの感じたものをご自由にどうぞというか。。おかげで終われない笑、すぐそばにある日常、優しいのか残酷なのかわかんない監督だなと思ったけど、結果、このストーリーを映画にした時点で優しさの塊なわけで、まあ当時は直視出来ないまま、幼な子たちとの慌ただしい日常に飲まれてふんわりと私の心の中に残ってしまっていた。結局、時折燻るやつとしてずっとある。。

カナリヤMVは最後に希望を描いていて、この難曲を5分の映像にまとめるのはものすごく大変だったよねと申し訳ねぇと、でも今回58歳の監督に受け止めてもらえて安心しまくり、けんしと同じく私も感謝の気持ちでいっぱいです。今なら『誰も知らない』のラストに少し希望が見出せるのかもなーと、少し期待して、2度目を観たとして、んでやっぱりドーンと落ちる気配しかないな、、どうなんだろ、すごい映画。。

相変わらず米津玄師の思想&思慮の深さに息切れしてしまうんだけど、何層にもなる想いを的確に言葉にして相手に伝える冷静さ、もう凄い、もう凄いとしかいいようがない。わたしのヒモ、凄い‼︎‼︎ヒモのくせに世界的監督にオファーして難曲を押しつけて、曲を昇華してもらうんだもの。補完?保管?とにかくけんし1人に背負わせるのは避けられた、やっと追いつけたと思う。。

人脈、監督にパリを案内してもらって、しばらく住んでみたりすれば良いのにとか思う。。コロナさえ無ければ、いろんな土地のいろんな空気を肺いっぱいに吸い込んで、心も身体も自由な29歳を謳歌しただろうし、そしたらどんな曲を産んでいたのかなぁと、聴いてみたかったなぁと、、時代に翻弄される音楽家の運命に少し寄り添えた大満足の夜でした。

優しさで包んでくれて、いつもありがとう。。