松籟

 

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お茶のお稽古を始めてそろそろ一年になる。。

月に2回ほどのペースで、日本の春夏秋冬をあらゆるモノの端々から存分に感じながら過ごすという体験を通して、とても豊かな一年をありがとうという感謝の気持ちで今を過ごせている。

初めのうちは作法の細やかさから挫けてしまいそうな時もあったけれど、これは童心にタイムトリップしておままごとをしているんだとこっそりと思い込んで気持ちをフラットに保ちながら、気分転換と言ったら怒られると思うけど、一期一会の気持ちで楽しみを見つけながら、繰り返し繰り返し、なんとか一年を積み重ねてきた。。

春夏秋冬がなければ何とも味気ない世界だっただろうなと、改めて、日本人たるものとはと、米津玄師たるものとはと、何度も幾度も勝手に励まされましたよ。この奥深い世界と刹那の瞬間は表裏一体なのかな、いや、全くわからんけど、繋がりを探したりもした、より一層の、米津玄師です。。

茶道の入り口に片足の爪先くらいがやっと入ったばかり、一昨日も、3時間正座で、告知無しで少し複雑なパターンの作法や、お花の生けかた花器の種類とルールを、ひたすらに頭の上から降り注がれるわけですが、まぁ、1/10くらいしか頭の中には留まってくれません。。基本、お稽古は先生がその日の気分で何をしたいかで準備から支度も流れで進みます、だから時間も関係なく、自由、ライブです。

一生懸命にとにかく覚えようとしていたこの一年、そして一昨日、「わーーー、覚えられない」と呟いたわたしに、この一年のタイミングで先生から言われたことが。。

『覚えようとしないで、覚えなくていい』

え?ええ?・・・・目から鱗の瞬間でした。

これは、もしかして、自然に身につくものというのが前提にある?知ろうとするなということ?

感覚的なもの、だとしたら、米津玄師??

(しつこい)

『覚えなくていい』という魔法の言葉は今のわたしにはとても有り難いし、実際に肩の力が抜けて心が軽くなったし、そうなると今度は間口がガッと広がったような気持ちにもなってくるし、何やら家族に対してもおおらかでいられる、笑笑、なんか毎日楽しいじゃん。。

心をフラットに、そして、赴くままに。。

正座3時間の後には、筋肉痛(内腿外腿と腹の横の内側の普段絶対使わないとこ)が2日間あるので、否が応でも、お稽古のこと思い出さずにはいられないのよね、そう、自然と復習してるわ。

これからは覚えようとせずに生きていきたい。

(仕事でおこられろ)