夏の日に起きた全て

 

小笠原諸島・父島、いきなりのキャンプ、しかも13連泊、私が小5の夏休みに経験した、夏の日に起きた全て。。

昔の話過ぎて、自分でもそろそろ夢だったのかな?とか思ってしまう程の遠い記憶、小5の時に見た感じたそのままの印象でしか表せなくて、細かい事は今ならあっという間に暴けるんだろうけど、したくない、見ない。

確かな事実なんてもういらなくて、だんだんと薄れていくこの記憶だけを残しておきたいので、自分の中に残っているものだけをメモしようかなと思う。

海獣の子供を全部読んだ。とても瑞々しい、不思議な清々しさのある、一瞬でも子供の頃の感性に戻れたような気がして、深海に引き込まれていくかのように、後半加速気味に一気に読まずにはいられなかった。で、夏の日に目撃したキラキラした眩しい風景、やっぱり私は父島で過ごした2週間を忘れられない。今思えば、大自然のジャングル、毎晩の突然のスコール、青い海の中に残っている巨大な沈没船、全てが異次元そのものだったのだ。

いつのまにか申し込まれていた、私と2つ下の弟も、一つ下のいとこと、その年子の弟、男だらけに紅一点、大体このメンバー、またもや必然としっかりしなくてはならない私、だって男の子は意味不明過ぎるでしょ。あ、私の周りだけ?

自営業だった両親はとにかく忙しく、当時は夏休みにまとまった休みなんてとれなくて、確か前年の夏休みはいきなりどこかのお寺に2泊3日でプチ修行に行かされたな。小学生ばかり、30人くらいで、あれは一体何だったのだろう、笑笑。

で、13泊のキャンプ⛺️の準備の記憶も事前知識も特になく、東京の研修センターみたいなところに集合、班割り、女子4人グループだったかな、全国から集まった小5小6の初顔合わせの子たちと前泊。部屋から見た東京の空がめちゃグレーで雨が降っていたな。明日は船に24時間も乗るのかーって、不安しかなくて、、でもおがさわら丸、めちゃくちゃでかい船だった!テンション少し上がる。

が、超超超船酔い、大きな船でも上下の動きがすんごくて、外とか眺めてない、記憶がない。吐いて寝て、寝て吐いて、とにかく陸地に降りたい一心、まさか台風が来てるだなんて思ってもなくて。

【上陸できません】台風が過ぎ去るまでは港に近づけないので、ここで船を停めて一晩過ごしますときた。父島は見える、でも降りられない、死ぬーと思いながら(たぶん泣いてたな)おがさわら丸でもう一晩過ごしました。。結局次の日の朝になるまで36時間も船の中、台風の波でめちゃ揺れる、自分との戦い、あの時私なにを考えてたんだろーー、暗闇で大嵐の海上、雑魚寝に毛布一枚、人生終わったぐらいの覚悟したかも。。

翌日の朝、台風一過の素晴らしい青空の中に浮かび上がる父島、写真でしか見た事のない南の島、そのもの。美しい!!まじでこの島に上陸できるの?上陸の時のワクワクドキドキの感動は忘れられない。

一旦、村の公民館のようなところに行く、地元の人とご挨拶、島の歴史、生活のルールや、テーマなどを発表される。【各班で、研究テーマを決めて2週間観察、研究する、最後にここで発表をする】

だったかな。自分たちが何を研究したかは覚えてないけど(熱帯魚の絵は描いた)、弟といとこ達が連日サメを釣って、さばいて、口を切り抜いてお土産のようなバックリ開いたサメの歯(口?)を作っていて、何個も並べて発表してたのは覚えている。それらがすごく臭かったのも記憶してる。え?そんな事していいの?自由すぎるわーー。。

大人が5、6人、ボランティアの大学生が5、6人、子供が20人前後だったかな、当時はあんまり全体を見ていないので(子供ってそんなもの)、自分の周りの記憶しかないんだけど、あ、いきなり思い出した!短い恋をしてたわー、笑笑、東京の子で小6の、シュッとした都会の男の子、イタズラな笑顔に惹かれたな、【森戸くん】名前まで思いだした。何回か文通した記憶がある、文通、当時の小学生の連絡手段は文通しかないのよ。封筒と便箋は命、センスや想いが出ちゃうからねー。切手にも全力出す、笑笑、話逸れたな。。

 

つづきはまた。よねよね、おやすみぃ。。